“コンクリートから人へ”の看板政策の破綻を批判《12月26日》

PDF(印刷用)
 23日の天皇誕生日は、朝から好天気に恵まれた。厳しい寒さではあったが、市議と一緒に6時間かけて40軒ほどを家庭訪問した。これで11月から姫路市内を一巡したことになる。様々な出会いの中で印象に残ったのは、定年退職後一日も欠かさずに、町中を流れる川の周辺の清掃を続けているという60歳なかばの党員さんだ。凄い。そう簡単にできることではない。今は、近所の道路端に花も植えてると言われていた。世のため人のために役に立ちたいとの一念が実らせたといえよう。

 夜は、自衛隊姫路駐屯地の幹部の皆さんとの懇親会に参加した。毎年恒例の会合だが、前外相の松本剛明氏の後に挨拶をさせて頂いた。自衛隊員ならびに応援する人たちを前に話すのは大いに気合が入る。この日は八ッ場ダムの建設を中止すると言っていた民主党がまたもやその意思を撤回。“コンクリートから人へ”の看板政策もかなぐり捨てた。二年半前の総選挙で、自公政権と真反対の数々の政策をマニフェストに掲げて、政権交代を実現しておきながら、今や内政、外交の殆ど全ての分野で挫折し、前政権と大差ない姿に戻っていることは、呆れてものも言えない、と。徹底的に毒づいたので、大いに拍手喝采を受けた。民主党への批判、不満は、巷間かなり昂まっているものと思われる。

 休日は、久方ぶりに私自身の甥三人と会い、懇談をした。それぞれ30代から40代の働き盛り。東京都下、茨城県下の大手大企業や小企業に務めている。この一年の中で、二人が父親(私にとっては義兄)を亡くし、一人は結婚をするとの人生の転機をそれぞれ迎えたこともあり、激励をしようとの思いもあって集めた。昨年、製薬メーカーの企業内ドクターの資格をとった甥は、“薬の世界”の課題を語り、ITのベンチャー企業で副社長を務める甥は、この10年の成功体験を踏まえて、自身が今転機にあることを漏らした。

 死に至る病(二人の義兄の死因は共にがん)のなかでの父親の闘病生活にあって、医療機関の対応がいかに非人間的であったかとの指摘には大いに考えさせられた。

Comments are closed.