年をとるということは友人が一人またひとりといなくなることだろう。友の死はひときわ寂しい。開高健編『友よ、さらば』は、明治から現代にいたる小説家や詩人たち55人の死に際して書かれた弔辞を集めたもの。文章を書くことを生業にした人たちの意匠を凝らし粋を集めた鎮魂の歌は読むものをひきつけてやまない。
明治27年に死んだ北村透谷に対しての尾崎藤村の「亡友反古帖」から始まり、昭和57年に没した西脇順三郎への山本健吉の誄詞(るいし)に至るまでのすべてがすべて読ませるというわけではない。菊池寛の芥川龍之介に向けた「弔辞」のように4行だけというのはちょっと寂しい。その芥川自身が夏目漱石の葬儀に際して経験した事柄を、種々書き綴っているだけにもうちょっと書いてあげて欲しいなどと、ないものねだりの気分もおきてくるからおかしい。芥川は、「心が自由を失う危険を感じる」ほど漱石にひかれていた門下生であることを勘案すると、一層よみごたえがあるというものだ。尤も、石川淳の坂口安吾への「安吾のいる風景」のように17ページにも及ぶものではちょっとした短編小説で、読み辛い。つまり、お葬式にあたって書かれた弔辞だけではなく、その後出版物などに掲載されたものも含まれているわけだ。
私自身興味を持ったのは、山本有三の幸田露伴への「露伴翁の永眠に対して」というもの。参議院議員でもあった山本有三が「議員でないものに弔辞を贈ったという例は極めてすくない」としつつ、「院議をもって弔辞を呈する例を開くことの大事さを参議院の性格を明らかにする上からも、適当」と書いているのは示唆的だ。また、弔辞を書いた側の人(50人)で、たった一人現存している作家・小田実の高橋和巳への「とむらいのことば」は「すべての気持ちをこめて、高橋和巳よ、ホナ、サイナラ」と締めくくっており、いかにも小田実らしい。小田実は今、がんを患っている、と新聞で知った。「小田ハン、イッタラアカンデ、ホナサイナラは未だ早い」と、彼の書いたものを読んで大人になった私などは、叫んでおきたい。
Posted on 07.06.21 by AKAMATSU Masao
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