第三の道としてのコミュニタリアニズムと共通善の難解さ

 ソ連の崩壊以後、この十五年あまりの間、国際政治は、米国の一国支配主義的傾向がいびつな形ながら続いてきた。大枠としての政治・経済思想の分野でいえば、共産主義、社会主義が資本主義に敗れ去り、体制選択論争には決着がついた。他方、具体の政治思想の領域では、様々な主義、主張が浮かんでは消えた。今は、最小国家を説く「リバタリアニズム」や市場万能主義を唱える「ネオリベラリズム」が勢いを増しているとの見方がある。これらが日本では、小泉構造改革と重なり、伝統的な自由主義としてのリベラリズムと対立しているとの位置づけがなされがちだ。菊池理夫「日本を甦らせる政治思想 現代コミュニタリアニズム入門」は、こうした、いわゆる”現代の左右対立の構図″に第三の道としてのコミュニタリアニズムを見出し、大いに宣揚しようとしている。ある新聞の書評で発見し、引き込まれた。

 コミュニタリアリズムを一言でいえば、「共通善の政治学」。人間のつながりや共通性を強調し、「個人的な利益追求の『利益政治』をなによりも批判するもの」だという。実はこの定義が分かるようでよく分からない。幾度も読み返してみたが、落ちない。「政治的には市場を重視する『右派』でも、国家を重視する『左派』でもない、コミュニティを重視する『中道』の立場」との記述に我が行く道と重ね合わせようとしたのだが・・・。例えば、憲法や教育基本法において、「自衛隊」や「愛国心」を「共通善」であるがゆえに明示するべしとしている。これをご本人は「一般的に保守的と思われる判断をしたかもしれません。しかし、私自身はそうではないことを十分説明したつもりです」という。しかし、されているとは思えない。

 欧州で広がり市民権を得ているコミュニタリアニズムを日本に定着させたいとの思いは伝わってくる。しかし、「具体的な政策を多く取り上げ」ておられるゆえに、一つ一つが生煮えで、全体的に思想としてのコミュニタリアニズムからの派生的事象として迫ってこない。ご本人が「かなり専門外の領域にも入り込み、ずいぶん難儀しました」と正直に告白されている通りと思われる。

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