「街道をゆく」は、前回”旅行の友”だと述べた。日本全国、海外のあちこちを、司馬さんが歩き回っての思いを込めて書き綴った物語だから、その地を訪れた際のこよなき”よすが”となる。ただ、松本健一さんが指摘するように、「関八州のうちの六州は全く取り上げていない」。非常な偏りがあるのは、「お上(かみ)の物語とか、経済成長の象徴である東京の物語なぞ書きたくなかった」から、とみる。東京のとばっちりを受けてわりをくったかにみえる関東地方をかばっているのが、関西人としては面白い。群馬出身の松本さんとしては口惜しい限りだろう。
「司馬遼太郎が描いたもう一つの美しい日本」は、昨年5月に松本さんが講演したもので、この本の巻頭に掲げられている。あとがきに代わる「ナショナリズム・天皇・三島由紀夫」とともに滅法読み応えがある。煎じ詰めれば、二点につきる。一つは「コテコテのコンクリートで固められたような日本ではない物語」と、いま一つは、「三島由紀夫が天皇という原理に日本を収斂させていったものと別の物語」。この二つを書きたかったに違いないとの興味深い「仮説」を松本さんは示す。 つまり、司馬さんは、高度経済成長と天皇の物語の二つを書かなかった。天皇の物語を書いていないのは、三島事件に深い関係があることが明かされる。三島事件がおこったとき、真っ先にこれを批判したのが司馬さんだったことから、この「街道をゆく」執筆の動機を読み説く。このあたりは、推理小説のごとく迫力満点だ。三島が「戦後日本を否定し、美としての日本を天皇という原理に収斂させた」のに対し、司馬遼太郎は「戦後日本のコンクリートの風景とは違う『近江』という言葉に象徴されるような、日本人が長い歴史をかけて歩いて作ってきたみちや土(くに)に、そうしてモノ(づくりの文化)に詩を、いや美しい日本を見出している」と結論づける。
一昨年の第八回司馬遼太郎賞を受賞された松本健一さんらしい、みごとな解説で、面目躍如たるところ。かなわぬことだが、司馬さんに感想を聞いてみたい。あわせて、「美しい国」づくりをかかげる安倍首相にも。
この項おわり
Posted on 07.02.14 by AKAMATSU Masao
Filed under: 赤松正雄の読書録ブログ

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